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フィリピン・カルチャー・ウォッチャー白野慎也のフィリピン・サリサリ・トーク
『旅の指さし会話帳フィリピン編』などの著者として知られる、フィリピン・カルチャー・ウォッチャー白野慎也がフィリピン語やフィリピンの現代文化について楽しく紹介する、フィリピン・フリークのためのブログ。
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フィリピン語、フィリピノ語、タガログ語?
『フィリピン語』、『フィリピノ語』、『タガログ語』。みなさんはフィリピンの言葉に言及するときどの用語をお使いでしょうか? 
 Pilipino(Filipino)は1987年のフィリピンの憲法改定で、フィリピンの国語と定められたものです。私が今、あえてローマ字書きしたのは理由があります。Filipinoだけで、英語で『フィリピンの言葉』または『フィリピン人』を表します。ですから『フィリピノ語』という表現は、フィリピン語語というのと同じで、明らかにおかしいと思うのですが、この表現が世の中には蔓延しています。ですから、私は自ら表現するときは必ず『フィリピン語』と言うようにしています。
 『フィリピン語』は中部ルソンで話されている『タガログ語』をベースに数あるフィリピンの地方語や英語・スペイン語など外国語を取り入れて作り上げられつつあるフィリピンの国語です。したがって『タガログ語』と『フィリピン語』は実態はほとんど同じなのですが、『タガログ語』と言った場合は、ルソン島中部のローカル言語というニュアンスが強くなります。
 テレビや映画、ラジオの普及の影響で『フィリピン語』は本当にフィリピン全土で広く通じるようになりました。セブアノ語圏でもかなり通じるな、というのが今年私が3週間、フィリピン全土を取材旅行したときの実感です。
 しかし、セブアノ語圏の恋人や友人がいたり、そこを本拠地に活動する方には『セブアノ語』は絶対できた方が得です。人々と深い心の交流ができます。したがって、結論的には、英語・フィリピン語とみなさんの親しいフィリピン人の地元の言葉の3刀流、トライリンガルを目指せばいいわけです。
 かく言う私も『セブアノ語』はまったくの初心者で、今年は私にとって『セブアノ語元年』です。みなさんの意中の方の地元の言葉は何でしょうか?
 いやー、言葉を勉強するって本当に楽しいですね。では今日はこの辺で失礼します。

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日比ファミリーの子女の教育問題
私も近い将来、フィリピン人の奥さんをもらって、神様から愛の結晶として子供を授かり、日比ファミリーの主となることを願っております。身の回りの日比ファミリーで明らかに問題になっていることのひとつが、『子供たちの教育問題』です。特に日本で暮らす場合、お母さんは、言葉の問題であまり力になれません。そしてフィリピン人の多くが『算数』がとっても苦手です。ですから、子供たちは小学校レベルですでに国語、算数で一般の日本人家庭より取得が遅れがちになっているように見受けられます。子供たちが、きちんと学校の勉強についていけている家庭では、ほとんど例外なくお父さんが子供の勉強をよく見るだけでなく、塾通いをさせるなど、お父さんの頑張りが目立ちます。
 そんなことを思いながら、今から気を引き締めている脱独身志願の中年独身男の私なのでした。
 先輩カップルのみなさんのご家庭ではいかがでしょうか?
愛の終わりはフィリピン語学習の終わり・・・でいいんでしょうか?
『旅の指さし会話帳』の旧版を出版した直後、2001年2月以来、プライベート形式のレッスンで、私は今日まで述べ100名以上の方にフィリピン語(タガログ語)を指導してきました。しかし、執筆活動がいよいよ忙しくなってきて、今月限りでレッスンを完全に終了し、執筆活動に専念させていただくことにいたしました。教えているようで、人生なり生き方なり、生徒のみなさんにはいろいろ教えていただきありがとうございました。私が書いている恋愛会話集が「わかりやすい」、「きわめて実践的」としばしば評されるのもかつての生徒さんや、読者の皆さんとの触れ合い、みなさんからいただいた手紙やメールのおかげと大変感謝しております。

 前置きが長くなりましたが、私の教室の門を叩いた生徒さんたちのほとんどが、フィリピン人の彼女のいる『中年男性』。彼女たちとの日々のコミュニケーションがとれずに大変苦労されていました。ほとんどが、今まで語学学習経験のない、学生時代は決して勉強好きではない方々ばかり。当然10代の頃のような柔軟な頭脳、砂にしみこんでいくような何でも吸収してしまうような記憶力など期待すべくもなく、楽しみながらも悪戦苦闘されていました。しかし、愛が故の外国語学習、結婚などのハッピーエンド、けんか別れやスポンサーとして単にもてあそばれた末の別れ、そんな愛の区切りや愛の終わりがフィリピン語学習の終わりの常だったようです。

 不幸にして『分かれ』という結末を迎えてしまった場合は新しい愛を見つけるしかないでしょう。しかし続きがある場合、つまり結婚生活ですね。結婚後こそ、起きてから寝るまで、より深い『わかりあい』が必要。『日本人とフィリピン人の結婚生活は小さな外交』だと思うのです。毎日が異文化交流ですから。しかし、日本人男性の多くが、彼女をモノにしてしまうと途端に学習の意欲を100%なくしてしまうのです。恋愛期間より、結婚生活の方がずっと長いのですから、結婚後の方が、よりフィリピン語力に磨きをかけなければいけないと思うのですが・・・みなさんの場合はいかがでしょうか? また、現在恋愛進行中のみなさんは、愛が成就したときにどうなるのでしょうか?
通じるフィリピン語、通すフィリピン語。あなたはぢとらを目指しますか?
私の知人でマニラ在住?十年の日本レストランのオーナーの方がいます。今年5月取材旅行でフィリピンに3週間滞在したときもお邪魔しました。そのとき明らかに店内はエアコンが効きすぎで少し寒いくらいでした。オーナー氏はそれを感じ取ったのか、"Mahina erkon."(マヒーナ・エルコン)と言いました。僕はびっくり。このフレーズの意味、フィリピン語を少しご存知の方ならお分かりだと思います。「mahina」は「弱い」、「erkon」はair-conのフィリピン語つづりであり、全体で「エアコンが弱い」すなわち「エアコンを強くして」という意味になるのです。この寒いのにさらにエアコンを強くされてはたまらないなあ、と思っていたら、ウェイトレスはすぐにエアコンに近寄ってスイッチを弱に切り替えたのです。まったく逆の指示をしながら、オーナーとウェイトレスはコミュニケーションが取れているのだと逆に関心したのでした。フィリピン語の名人でも、机の上で勉強せず、ひたすら現場でフィリピン人とのコミュニケーションの中でいわば「体」でフィリピン語を覚えた人は、文法も単語のつづりも発音も概してハチャメチャで、フィリピン語でまともな読み書きもできない場合がほとんどです。しかし、面と向かった会話の場面では、フィリピン語で自分の意志を相手に通じさせる能力はずば抜けています。ですから私は、こうした現場で「体」に言葉をしみこませて覚えた人々を尊敬しています。自分の体験、そしてこうした「通すフィリピン語」の名人を見るにつけ、フィリピン語の学習はまず「慣れありき」だと実感します。文法や理屈は後付でいいのです。そして忘れてならないのは「自分の思いを通じさせようとする意欲」です。きれいなフィリピン語を話せるのは大いに結構ですが、まず通じることが第一です。「通じるフィリピン語」、「通すフィリピン語」あなたはどちらを目指しますか?
Magandang sex?

みなさん”Magandang umaga"(マガンダン・ウマーガ)というフレーズはご存知ですね。「おはよう」というあいさつの定番中の定番です。では「maganda」という単語の意味は? そう、「美しい」、「素晴らしい」、「素敵な」などの日本語に当てはまる形容詞です。「umaga:ウマーガ」は「朝」という意味ですから「美しい朝」あるいは「素晴らしい朝」→「おはよう」となるわけなんですね。「美しい朝」でフィリピンの朝は始まるわけです。ささいなことなんですが、この小さな発見でも私はフィリピン語を学習し始めた1993年ごろ大変感動したものです。「maganda」という言葉に着目すると美しいもの、素晴らしいもの、素敵なものなどについて幅広く使います。「素敵な靴」なら「magandang sapatos(マガンダン・サパートス)」、「素敵なサンダル」なら「magandang sandalyas(マガンダン・サンダーリャス)」となります。もちろん「素敵な服」と言うときも「maganda」をよく使います。誰ですか? 「maganda」といったら「babae(ババーエ:女性)」としか結びつかない人は? 
 というわけで「maganda」は幅広く素晴らしいもの・ことについて表現するとき使うわけなんです。さて、今日、本棚を整理していたら、フィリピンの高校生向けの性教育の教科書がひょっこり出てきました。タイトルは『Lalaki at Babae(ララーキ アットゥ ババーエ:男と女)』その第1章のタイトルが「Maganda ang sex:セックスって素晴らしい」でした。ご存知の方も多いと思いますが、フィリピンはカトリック信仰がいきわたっていて程度の差はあれ、ほとんどすべての女性が確固たる貞操観念を持っています。「処女」というものは「将来の旦那さん」にささげるものと硬く心に決めているフィリピーナも地方を中心に非常に多いようです。ですからフィリピンは当然フリーセックスの国ではなく、むしろ性に関しては非常にストイックな国だと言えます。したがって『セックスって素晴らしい』という章は、「セックスとは愛し合う二人が作り出す芸術だ」と、高らかに同著の基本方針を打ち出した章だったわけです。
 私が新鮮に感じたのは、SEXもMANGANDAなのだなと言う言葉の組み合わせです。早速フィリピン語の達者な知人に話したら、しきりに「マガンダン・セックスか。いいねえ」、「マガンダン・セックスか。いいねえ」と何度も繰り返し、感心することしきりでした。何か感心してるポイントが自分と違っているようでした。


ちょっとどうにかしてほしい! 日本人の世界観
島国日本、日本の中高年の方々の世界観についてにひとこと言わせてください。
★世界には2カ国人しかいない
 私の母親を例に話しをします。我が愛する母はと言えば・・・ちょっと古い典型的な日本人の世界観の持ち主。つまり世界を構成しているのは『日本人』と『外国人』の2カ国人しかいないという世界観です。世界はこの2つの国籍の人々から成り立っていると思っています。日本人以外はみんなよその国の人『外国人』というわけです。そして外国人はみんな英語を話すと思っています。フィリピンのことは『ふいりぴん』と呼びます。フィリピン語はおろか片言の英語すらできません。
 こんなことがありました。愛する母君を馬鹿にするわけではないのですが、フィリピン人の友達から私の留守中、私宛に電話がかかってきたときのこと。私の母は「あなたのお名前なんですか?」 と英語で聞きたかったのですが、母君の口をついて出てきた言葉はな・なんと「What my name?」だったのです。そう、文法的にも間違ってますし、話し相手に「私の名前は何?」なんて聞いたら「この人おかしいんじゃない」と思われるのが落ちですよね。というわけで結局私が帰宅すると結局誰が私に電話をくれたのかもわからず、心当たりの友達に電話をかけまくって、電話の主にたどり着いたわけです。私は友達に「僕の母は英語はまったくダメで、本当は君の名前だけでも聞いて、電話があったことを僕に伝えたかったのだよ」と伝えました。彼女は本気で内の母がぼけているんじゃないかと心配してくれていた様子でほっとしたのもつかの間、『一般の日本人の英語力のすさまじさ』に感心したのか、突然大笑い。私もつられて大笑いしてしまいました。この話を母にフィードバックしたところ、さすがにプライドが傷ついたのか、今度生まれ変わったら『外人』に生まれて英語で苦労しないようにしたいわ」とちょっとふてくされていました。笑いものにしてすみません『我が愛する母上様』。ただ『外人』と言わず、せめて「アメリカ人」とか具体的な国名で言ってほしかったなあ。72になろうという母にいまさら英語をどうのこうの言うつもりはありませんが、フィリピン関係の仕事をしており、近々フィリピン人、いや『外人』と結婚しようかという息子をもつ母としてはもう少し広い世界観を持ってほしいなあといつも思っている次第です。
 あなたの近くにもこんな世界観を持っている人はいませんか?

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